アンティークメダイとアンティーククロス(十字架)の専門店アンティークジュエリー・マリア。

アンティークメダイ、アンティーククロス(十字架)、アンティークロザリオなどには、 時代を経ても朽ちること無く人々に‘美しさ’‘安らぎ’‘癒し’を感じさせるものが沢山ございます。 それら丹精を込め制作されたアンティークメダイ、アンティーククロス、アンティークロザリオなどは 絵画や彫刻などの純粋芸術にも値する、造形的な価値があるものと考えております。
アンティークジュエリー・マリアでは、既存のジュエリーやアクセサリーなどの価値基準に捉われること無く、 “心に感動を与える”アンティーク、ヴィンテージアイテムのご提供に努めております。
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ホームアンティーク 3枚続きの祭壇画【中型サイズ】イタリア アンティーク 『大公の聖母(1505-1506年)』ラファエロ・サンティ(1483-1520年)作 3枚続きの祭壇画 (高さ170ミリ)
商品詳細

【中型サイズ】イタリア アンティーク 『大公の聖母(1505-1506年)』ラファエロ・サンティ(1483-1520年)作 3枚続きの祭壇画 (高さ170ミリ)[m5887]

販売価格: 0円(税込)
【中型サイズ】イタリア アンティーク 『大公の聖母(1505-1506年)』ラファエロ・サンティ(1483-1520年)作 3枚続きの祭壇画 (高さ170ミリ)

ラファエロ・サンティ(1483-1520年)作 『大公の聖母(1505-1506年)』の複製画を用いて作られた
3枚続きの祭壇画です。
中央の複製画は勿論、レトロな凹凸のある黄金色の装飾が魅力の品です。

イタリア製

サイズ:上下170ミリ、左右180ミリ(開いた状態)
重さ:86グラム

この『大公の聖母(1505-1506年)』の構図はラファエロが描くことになる数々の聖母の原型と言われており、
暗い背景に浮かび上がる聖母と幼子イエスは、明らかにレオナルド・ダ・ヴィンチに影響を受けている。
幼子イエスは、母の胸元と肩にその手を置き、しっかりと見物人を見つめている。
また聖母マリアはその温もりを感じながら、優しい母の表情をしている。
聖母子の姿が、優しい情愛に満ちたものであり、いかに完璧に安定感を見る人々に与えるか、
まさにラファエロの聖母子像である。

《大公の聖母》は、ラファエロがフィレンツェへやって来た翌年の1505年、22歳の年に着手された作品。
この2年前には、レオナルドが《モナ・リザ》の制作を始め、
前年にはミケランジェロの彫刻《ダヴィデ》がヴェッキオ宮の入り口脇に設置されました。
ルネサンスの巨匠たちは、後に傑作と呼ばれることになる作品を、同時期、同じフィレンツェの地で生み出していたのです。
《大公の聖母》に見られる繊細かつ柔らかな陰影は、レオナルドの作品を熱心に研究した成果です。こうしてラファエロは、
フィレンツェの地で先輩画家の技術を吸収しながら、輝くような生命力と優しさに満ちた独自の作風を築いていきました。

タイトルにある「大公」とは:
トスカーナ大公フェルディナンド3世(Ferdinando III di Toscana/1769-1824)のことです。フェルディナンド3世は、18世紀末、
フィレンツェがナポレオン(Napoleon Bonaparte/1769-1821)に占領された激動期にこの絵を入手し、
生涯にわたって自身の寝室に飾っていました。
大公のこの絵への思い入れはことのほか深く、フランス軍の侵略によって絵が奪われることを恐れ、
亡命中も肌身離さず大切にしたといわれるほど。どこの誰によって注文された作品か正式な記録が残っていないため、
所有者だったフェルディナンド3世の称号「大公」が冠せられているのです。

ラファエロ・サンティ:
盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。一般的には単にラファエロと呼ばれ、
日本ではラファエッロ、ラファエルロ、ラファエル(Raphael)などという表記ゆれが見られる。
ラファエロの作品はその明確さと分かりやすい構成とともに、
雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。

ラファエロは異例なほどに大規模な工房を経営しており、
37歳という若さで死去したとは考えられないほどに多数の作品を制作した。
多くの作品がヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残されており、
とくに「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画は、
ラファエロの最盛期作品における最大のコレクションとなっており、
もっとも有名な作品の一つの『アテナイの学堂』も「ラファエロの間」のうち
「署名の間」と呼ばれる部屋のフレスコ壁画である。
ローマでの活動時代初期に描かれた作品の多くは、デザインこそラファエロのものだが、下
絵以外の大部分は工房の職人が手がけたもので、
ラファエロが最後まで自身で手がけたものよりも品質の面で劣るといわれている。
ラファエロは存命時から高い評価を受けた影響力の高い芸術家だったが、
ローマ以外の地ではラファエロの絵画やドローイングをもとにした版画でよく知られていた。
ラファエロの死後、年長だが長命を保ったミケランジェロの作品が18世紀から19世紀にいたるまで
西洋絵画界により大きな影響を与え続けたが、ラファエロの穏やかで
調和に満ちた作品も非常に優れた模範的作風であると評価されていた。

マニエリスム期の画家、伝記作家ヴァザーリの著作『画家・彫刻家・建築家列伝』の
記述を嚆矢として、ラファエロのキャリアは3期に大別されることが多い。
ウルビーノで活動していたキャリア初期、フィレンツェの伝統的絵画の影響が見られる
1504年から1508年にかけての4年間、
そして死去するまでの二人のローマ教皇とその側近に緊密な後援を受けていたローマでの輝ける12年間である。

(出典:ウィキペディア ラファエロ・サンティ など)























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